最初にお伝えしたい思い
こぐまやのせかいはわたしのハンドメイドへの思いを伝える大切な場所です。
毎日の些細な出来事、普通の日々。
何気ない日常の繰り返しは私たちの人生を作っていきます。
通り過ぎてしまったら忘れてしまうような出来事を
ふと、思い出すきっかけになるような、
あなたの今までを作ってきた、頑張った日、乗り越えた日を思い出して、次の力になるような
そんなmyライフストーリーの詰まったハンドメイドをお届けしたいと思います。
私が今まで助けてもらったことを、ハンドメイドを通してお返しさせてくださいね。
わたしにも出来たと喜んでくれる笑顔は私のたからものです。
ハンドメイドに助けられた日々、製作への思い
私は小さいときからハンドメイドが大好きでした。
両親も作る私のことをとても褒めてくれて認めてくれたので、三度の飯よりハンドメイドを優先するような大人になりました。
結婚してからもずっとそれが続き、朝から晩まで自分で楽しむための手作りを続けていました。
結婚して6年、子供ができました。
産まれてくる我が子にここぞとばかりにベビーグッズを作りました。
ぬいぐるみ、おくるみにベビードレス。
そしてヨチヨチと歩く姿を思いながら、最初に履けるようにちいさな靴も手作りしました。
毎日、ベビーグッズを製作しながら生まれてくるのを楽しみにすごしていました。
フェルトで作った小さなぬいぐるみ。
つわりで入院する中、ひと針ひと針大事に作りました。
元気に生まれてきますように・・・そんな願いをこめて。
しかし、生まれてからその生活は一変しました。
生まれてきた息子は、生まれてすぐから入退院を繰り返しました。
子供を連れ、あちこちの病院に駆け回り、車で1時間半かけて毎日リハビリに通う日々になったのです。
寝返りもはいはいもできず、寝たきりで笑う我が子を何とかしたと必死でした。
とてもハンドメイドなんてやっている時間も気持ちの余裕もありませんでした。
私はそんな日々にヘトヘトになっていました。
同じくらいに生まれた子供たちが、歩きだしていくのを見るのがとても嫌でした。
外で元気に遊んでいる子供や、そこで笑っているママたちがうらやましくて、そして憎くもありました。
なんでうちの子は歩けないんだろう?
どうしてうちの子だけがこんな何だろう?
いつの間にか歩けるようになって、絶対普通の子として育てて見せる!
そんな気持ちでいっぱいで、リハビリに必死になっていました。
立てない、歩けない、泣いてばかりの我が子に怒ってばかりでした。
その裏には
「私が元気に産んであげなかったからいけないんだ。ちゃんと元気に産んであげられなくてごめんね」
という罪悪感が誰に言われた訳でもないのに、ずっと心にありました。
そして、毎日必死だった私はとうとうダウンしました。
耳が聞こえなくなり、手が動かなくなり、外に出ることがこわくなり、人と会うことがつらくなり、寝れなくなりました。
私がいけなかったんだ。私がいけなかったんだ。
と自分を責めてひきこもる日々でした。
そんな中、わたしに声をかけてくれた人がいました。
同じアパートに住んでいる友達でした。
彼女にはうちの息子と同じくらいの息子さんがいました。
「みおちゃん、子供遊びにこさせなよ。見ててあげるよ。」
と声をかけてくれたのです。
私は彼女の子供が元気なのがずっとうらやましく、歩いているのを見ることも嫌だったのですが、
遊びにいけると息子がよろこんでいる姿を見て預けてみることにしました。
それから、彼女は私を気遣って、何度も「遊びにおいで」と声をかけてくれました。
「みおちゃんもこれそうなら来てね。無理そうなら子供だけでも遊びに来させて。」
彼女はそう言って私に一人でゆっくりする時間をくれたのです。
それから少しずつ回復してきた私は少しずつ周りを見ることができるようになってきました。
ある日、彼女の家に遊びに行ったとき
「オムツとか入れる大きなバッグが欲しいんだけど、ちょうどいいのがなくて。みおちゃん、作り方教えてくれない?みんなでおそろいで作ろうよ!」
と彼女に言われました。
「ああ、そうだった。私、作ることが好きだったんだ・・・そろそろ作ってもいいのかもしれない」
と、ふとあの楽しかったハンドメイド時間を思いだしたのです。
それから、友達4人で子供をベビーカーに乗せて近くの手芸店ヘ行き、布やアップリケを買いました。
久しぶりの病院以外の外出、久しぶりの手芸店、久しぶりハンドメイドでした。
息子の寝ている時間、そして友達に子供を預かってもらっている時間などに、少しずつ製作。
4人で集まって、子供が泣いたら順番にあやして。自分の子もお友達の子も抱っこしたり、あやしたり…
友達に作り方を教えながら、自分の分、そして友達の分もみんなで一緒に何日も時間をかけて作りました。
久しぶりに味わう大好きな手作りの時間でした。
出来上がったのは大きなアンパンマンのアップリケのついたバッグ。
友達は
「わー!!できた!!教えてくれてありがとう!!!また、なんか作ってみたいから教えて!」ととても喜んでくれました。
私はその時のことを今でも鮮明に覚えています。
私の手作りに喜んでくれてるなんて!
たかが小さな手作りなのに。
こんなもので・・・こんなに喜んでくれるなんて!
わたしなんか、彼女がうらやましく思ってたのに、憎らしいとまで思っていたのに・・・
違うよ、お礼を言うのはこっちのほうだよ!
私を助けてくれてありがとう。
そう友達に思ったことは一生忘れることはないと思います。
それから、私は「ママに子供に喜んでもらえるハンドメイド」をするようになりました。
ママの「こんなの欲しかったの!」という声やこどものうれしそうな表情を見るのが大好きでした。
いろいろリクエストに応えて作っていましたが、そんな中、いつも気にかかることがありました。
「このくらいは作ってあげたいと思っていたけれど作ってあげられなかった」というママの後悔や罪悪感が私の耳によく入ったのです。
その声を聴くたび
お母さん、そんなこと手作りできなくなって、あなたはちゃんと子供を産んだよ。それだけで十分すごいよ!
いつもそんな風に思っていました。
お母さんにはそんなことで罪悪感を持ってほしくない。
そんなこと、罪悪感を覚えることでもなんでもないのに!
でも、私もちゃんと産んであげられなくてごめんね、という罪悪感がありました。
その時、私は友達のに周りに助けられました。
もしかすると、私のハンドメイドで、手作りできなくて罪悪感があるおかあさんたちの心を和らげることができるかもしれない!
そう思ったのです。
あんなに毎日必死だったのに、振り返ってみればあっという間に子供は大きくなりました。
「お母さ~ん、見て~~~!!!」
公園に行くたび、何度も滑り台の上からぶんぶん手を振っていたあの日も、
ちょっとめんどくさく手を振り返したことも、もうずっと昔の話になりました。
お母さん、
最後にブランコ押してあげたのはいつでしたか?
最後に靴をはかせてあげたのはいつでしたか?
最後にだっこしてあげた暖かさ覚えていますか?
さみしいことに、過ぎ去ってみないと、あれが最後だったとわかりません。
お母さん、
お子さんがここにいてくれる今、
あなたの「せめてこのくらいは作ってあげたいと思っていたけれど、結局何も作ってあげられなかった。本当は作ってあげたかった。」
その夢、叶えてみませんか?
ずっと秘めてたお母さんのその願い、私にお手伝いさせてもらえませんか?
私は周りの人にとても助けられてここまで子育てしてこれました。
今度は私がみなさんにお礼をしたいなと思っています。
あんなに成長が遅く心配していた息子も中学2年になりました。
歩けたのは3歳ちょっと前、自分でご飯が食べられるようになったのは小学校に入ってからでした。
いろんなことの成長は遅かったけれど、
今、毎日楽しく学校に行って、いっちょ前に少し反抗期にもなってきました。
一生懸命、毎日悔いなく過ごしています。
お母さんはずっと子供の幸せを願っています。
子育てに悔いのないように、そして今を大切に。
お母さんの夢だった、お子さんへのハンドメイドのお手伝いを全力でさせていただきたいなと思っています。